9/22/2014

還り道 のこと
























祖母は
9月9日
42歳で亡くなった


父は私が大学を卒業直後に倒れ
12年間、薄紙を覆ったみたいな輪郭で
生きつづけた

その薄紙はとても繊細で
淡い植物を育てるみたいで
でも
まさに色濃い動物であって、
人間であって、
その奥には、たましいの意思があるのは
家族にははっきりわかってた

全て日常の生活が自分ではできなくなること
身動き、
思考、感情、五感、、、
だれかに伝えられない
全てを削ぎ落とされる
生きている意味があるのだろうか?
と よく問われる
でも 私たちは 
目の前に 生きている 事実があるのを見ていた
表情がつくれないのに とても穏やかに見えてた
何も語れない、その瞳の奥から伝わるなにか に
もっと奥の 小さな 小さな
真の粒のような 大切な
見えないなにか に
ふれていた日々
それが " いのち"という源か

当時は目の前の現実しかない 
泣いたり 笑ったり
尊い12年



危篤の知らせ
電車で西へ向かう、
西日が眩しいのか
涙をがまんしてるのか
窓の景色と重なり、自分が知らないはずの父のありしの幼年期から
家族となって、とてもなつかしい穏やかな日々の断片が
カタカタカタ・・と昔の映写機のように窓に映った。

走馬灯・・

長い長い 西へ向かう電車のじかん

着いてまもなく いちにちの陽が落ちると共に
父のたましいも元いたどこかへ還っていった


9月25日
あるひとつの還り道

生きる境界は淡く
死の境界ははっきりある
いや
それが種となって 
また私の中に、誰かの中に居る
だから境界はない気もする
こちらと その向こう側

kaerimichiをたどる道は
ここから まだ歩きはじめ
遥かとおくへの道のり

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kaeri michi exhibition →

9/26-10/7
at  Fly Sow Seeds (大阪)