4/09/2015

涅槃




法然寺へ

涅槃釈迦を観た
そこには、人生のすべての図みたいな世界に
横たわる身体、目、眼差し、

あ、父だ

最近になって、
父は12年間 長い長い瞑想の中にいたのではないかと思ってた

涅槃のまわりの苦しみの人々、
全てを受け入れ、心穏やかに横たわり、眼差しの先を無言でみつめるお釈迦様

人間の、あるがままとは、真に生きることとは、、

この、見えない生き死にの世界の
じぶんを通っていくもの
これまでの
これからの
点と点、糸をつないでいく
それはひとつのロードムービーみたいだと
時々気づかせてくれる


東京へ戻り
「コルバトントリ、」を観る
あの世とこの世の境界の曖昧さ
フィクションとノンフィクション
その現実が其処にあった

そして じぶんのなかで何かがとき放され
ふとひとつの確信のようなものが灯った
いまはわからない
きっとこの先にそのことがわかるだろう灯火
まだまだ個々からひとつに還る旅はつづく