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父は私が大学を卒業直後に倒れ
12年間、薄紙を覆ったみたいな輪郭で
生きつづけた
その薄紙はとても繊細で
淡い植物を育てるみたいで
でも
まさに色濃い動物であって、
人間であって、
その奥には、たましいの意思があるのは
家族にははっきりわかってた
全て日常の生活が自分ではできなくなること
身動き、
思考、感情、五感、、、
だれかに伝えられない
全てを削ぎ落とされる
生きている意味があるのだろうか?
と よく問われる
でも 私たちは
目の前に 生きている 事実があるのを見ていた
表情がつくれないのに とても穏やかに見えてた
何も語れない、その瞳の奥から伝わるなにか に
もっと奥の 小さな 小さな
真の粒のような 大切な
見えないなにか に
ふれていた日々
それが " いのち"という源か
当時は目の前の現実しかない
泣いたり 笑ったり
尊い12年
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危篤の知らせ
電車で西へ向かう、
西日が眩しいのか
涙をがまんしてるのか
窓の景色と重なり、自分が知らないはずの父のありしの幼年期から
家族となって、とてもなつかしい穏やかな日々の断片が
カタカタカタ・・と昔の映写機のように窓に映った。
走馬灯・・
長い長い 西へ向かう電車のじかん
着いてまもなく いちにちの陽が落ちると共に
父のたましいも元いたどこかへ還っていった
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生きる境界は淡く
死の境界ははっきりある
いや
それが種となって
また私の中に、誰かの中に居る
だから境界はない気もする
こちらと その向こう側
kaerimichiをたどる道は
ここから まだ歩きはじめ
遥かとおくへの道のり
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kaeri michi exhibition →◯
9/26-10/7
at Fly Sow Seeds (大阪)